モームが愛したタヒチ
 2. 船が環礁の口をはいろうとすると、

 船が環礁の口をはいろうとすると、鮫がそれをとりまき、礁湖の中まで追ってくる。
 礁湖は非常に静かで、水が澄んでいる。
 埠頭には白いスクーナーがいくつも並んでいる。船を見に大ぜい人が集まっている。
 太陽のまぶしい波止場に、群集の色あいがにぎやかなので、じつに陽気な美しい光景である。
「作家の手帳」中村佐喜子訳


 ボラボラ島の空港に着いたときには、既に太陽が頭上高く輝いていた。

 午前9時。
 真昼のように感じるのは、冬の東京の感覚を引きずっているからだろうか。

 空港からホテルまでは船に乗る。
 環礁(ラグーン)のなかの穏やかな海を高速ボートがエンジン音をたてて進んでいく。

 甲高いボートのエンジン音が低音に変わり、船が方向を変えると、ホテルの船着場が見えた。

 水上に並ぶバンガロー。

 穏やかな海の上に行儀よく浮かぶバンガローたちはまだ眠っているように見える。

 モームは、作家として、あるいは他の役割を担って、生涯にさまざまな土地を訪れているが、新しい土地に初めて足を踏み入れるときには特別な気持ちになったのだろう。

 特に、船に乗って目的地に着いたときには、違った趣きがあったに違いない。
 モームが残した旅先での文章によるスケッチを読むと、そのあたりの感じが伝わってくる。


 ボートを降りて、ホテルの船着場に立つと、透き通った水の中に無数の魚が泳いでいるのが見えた。
 三角形の黄色い魚、細長い水色の魚、体に斑点のあるくちばしの尖った魚。

 人の気配を感じてどこからともなく集まってきたのだろう。
 群れをなした魚たちは、色合いがにぎやかで、じつに陽気な美しい光景である。