モームが愛したタヒチ
 0. 「南海もの」に誘われて

 もし大戦という運命のさいころが、僕をタヒチ島へ送るなどということをしなかったならば、彼に関する回想を筆にすることもまたなかったろう。
「月と六ペンス」中野好夫訳


 はじめてモームの小説を読んだのは大学生のときだった。
 大学の廊下に保管期限の切れた忘れ物が置いてある棚があって、そこにありとあらゆるジャンルの本がいつも山積みになっていた。

 棚の上の壁には、「ご自由にお持ちください」という貼り紙。
 ぼくは、この棚の熱心な利用者のひとりだったのだが、ある日、いつものように他の何冊かの本といっしょにその短編集を持ち帰ったのだった。

 その短編集のタイトルは、「凧・冬の船旅」。
 英宝社という出版社が出していたモーム晩年の短編集だった。

 人間の奇妙さ、不可解さ。モームの描く「人間的な」物語に当時のぼくは大いに興味を覚えた。

 そしてその短編集に収めれた作品を読んでから、ぼくは片っ端からモームの作品を読むようになった。

 あいにく当時既に絶版になっているものが多かったが、おかげで古本屋めぐりをする時のたのしみが増えたと思ったものだった。


 モームの短編集の中では、特に「太平洋」「雨・赤毛」「手紙・環境の力」などの「南海もの」といわれる小説が好きだった。

 ラグーン(環礁)に囲まれた島。
 ランチやスクーナと呼ばれる船での移動。
 植民者と現地人の間で繰り広げられる時に奇妙な事件。

 そんな物語の舞台にいつか行くことができたらなと思いながら、ぼくは読み終わった本のページを閉じたものだった。

 モームは、自分がタヒチに行かなかったなら「月と六ペンス」を書くことはなかっただろうと小説の中で書いている。

 モームのレトリックを借りれば、モームの「南海もの」を読まなかったら、ぼくはタヒチに行きたいとは思わなかったということになるだろう。

 そんなわけで、ぼくは読み親しんだモームの小説を鞄に入れてタヒチのボラボラ島を訪れたのである。