その昔、パリは「ルテキア」(水の中の家)と呼ばれていたらしい。
今から、2500年くらい前の話である。
紀元前5世紀頃、パリシー人たちがセーヌ川に浮かぶシテ島に移り住み、シテ島を中心とするルテキア(パリ)の歴史が始まったというわけだ。
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もっとも、当時のシテ島は都市というよりも、漁村のようなものだったらしい。
そこでは、漁師や船乗りたちが粗末な家に住み、魚を獲ったり、船を漕いだりして暮らしていた。
その後、カエサル率いるローマ軍がガリア(パリ)を占領すると、ローマ人たちは、自分たちの制度や文化をパリに持ち込んだ。
ローマ時代の記憶。
ルテキアのアレーヌ(円形闘技場)とパレ・デ・テルム(浴場跡)は、現在のパリに残るそんなローマ時代の数少ない記憶である。
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メトロ10番線カルディナル・ルモワーヌ駅を出て、モンジュ通りを南に進む。
左手にローマ風のファサードがついた建物がある。
もっとも、それはファサードというより、壁に空けられた穴と言ったほうがふさわしいかもしれない。
注意深く見ていないと、簡単に見落としてしまいそうなほど簡素で控えめな入り口なのである。 |
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ファサードをくぐると、奥は中庭のようになっている。
その円形の中庭で近所の子どもたちが走り回っている。
大人たちは、周りにしつらえられた石段に腰を下ろして本を読んでいる。
パリの辻公園や子どもの遊び場でよく見かける光景だ。
ここがローマ時代の数少ない記憶などとは誰も意識していないかのようである。
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円形闘技場を後にして、パンテオンの脇を通ってリュクサンブール公園に向かう。
このあたりは、大学の集まるカルチェラタンである。
サン・ミッシェル大通りに出たところでシテ島の方に向きを変え、300メートルくらい歩くと、右手にクリュニー美術館が現れる。
ローマ時代の浴場パレ・デ・テルムの跡に建てられた美術館である。
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